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ネットいじめはやりやすい?「いじめっ子にさせない3つの壁」を壊す方法【大阪大学・社会心理学研究室シリーズ(2)】

ネットで起こっているさまざまなトラブルを、心理学の観点から取り上げていただくシリーズの第2弾をお送りします。前回は大阪大学の綿村准教授に「既読無視 そんな気にして いつ休む」を執筆いただきました。今回は寺口助教にネットいじめについて執筆いただきました。

 

「ネットいじめ」という残虐行為

2010年ごろからインターネット、特にSNS上でのいじめ問題、いわゆる「ネットいじめ」が社会的に取り上げられるようになりました。2011年に行われた小学校児童2,599名を対象とした調査では、実に320名の児童が「ネットいじめを受けたことがある」と回答しているほどです。
(参考:原 清治 (2011). ネットいじめの実態とその要因(1):学力移動に注目して 佛教大学教育学部論集, 22, 133-152.

 

ネットいじめは従来のいじめと違って直接的な暴力は振るわれません。代わりに、悪口の書き込みやグループからの閉め出し(いわゆる「ハブり」)、さらには写真や動画を勝手にアップロードしたりなどの行為が主となります。これらは被害者を精神的に傷つける行為であり、このネットいじめが過激化することで自殺に至ることも少なくはありません。現代において、ネットいじめは新たな形の「残虐な行為」と言えるでしょう。

 

なぜこんな酷いことができる?

相手を死に至らしめるほどの行為であるネットいじめ、そもそも加害者はなぜ、こんな残虐な行為が出来るのでしょうか。この疑問はいじめに限った話ではありません。TVを眺めてみれば毎日のように暴力犯罪や殺人事件、テロや紛争などのニュースが流れてきます。

この疑問に対して、1980年代に社会心理学者であるバンデューラが「道徳からの選択的離脱モデル」という考えの枠組みを提唱しました。このモデルでは人が残虐な行為、道徳に反するような行為を行おうとする際には罪悪感が伴い、それによってその行為を行えなくなるとしています。その罪悪感を引き起こす、いわば「人を残虐行為に走らせない3つの壁」の存在を提案しています。それは「その行為が非難されるべき行為」であること、「その行為によって引き起こされる有害な結果」があること、そして「有害な結果を被る犠牲者」が存在することです。

 

人を残虐行為に走らせない3つの壁

 

普段はこれら道徳の壁によって、人は残虐行為をしないようになっています。では、それでもなぜ、いじめや重大事件は起き続けるのでしょうか。それは、人が自分の中にあるこの3つの壁を、自分の都合が良いように壊してしまうからです。この3つの壁のうち1つでも壊れてしまうと、人は残虐な行為を行えてしまいます。そして、これらの壁は特にインターネットという環境の中では崩れやすくなっているのです。

では、「行為」、「結果」、「犠牲者」の3つの壁がどのようにして壊れてしまうのかを次の節から説明していきます。

 

「行為」の壁の壊し方

まずは、「その行為が非難されるべき行為」であるという壁です。道徳に反する行為である以上、どうしても罪悪感が伴います。では、その行為が道徳に反しない行為、もしくは道徳的に良い行為と誤認してしまえばどうでしょうか?そのように誤認してしまえば、行為の壁が正常に機能することはないでしょう。特にネットいじめについては「都合の良い社会的比較」と「婉曲表現」がこの誤認の一翼を担っています。

 

① 都合の良い社会的比較

何かの評価というのはそれそのものだけで決まるわけではありません。例えば、同じ気温であっても冬の後の春は暖かく、夏の後の秋は涼しく感じられるように、評価というのは比較する対象によって左右されます。これは良い・悪いの判断でも同じです。例えその行為が非難されるべき行為であったとしても、都合よくより悪い行為と比較してしまえば、その行為はあまり悪くは感じられなくなります。「あいつの方がもっと悪いことをしてた!」というのは良く聞く言い訳ではないでしょうか。

 

自分の悪い行為を都合よく、より悪い行為と比較すればあまり悪く感じなくなる

 

ネットいじめには様々な参加方法があります。例えば、被害者を映した動画を勝手にアップロードする事例を考えてみましょう。その中には、まず初めにアップロードした当人がいて、その動画に対して悪口などのコメントをする人、その動画を拡散する人、ただ眺めている人など様々な参加者が存在します。

現代ではインターネットのアクセスのしやすさから、いじめに対して比較的浅い形で関わる人が増えています。こういった浅い形での関わりは直接的な加害者と都合よく比較されてしまい、「他の人の方がもっと酷いことをしている」、「自分の行動はまだそこまで悪くない」と考えて行為の壁が働きにくくなってしまいます。

 

②婉曲表現

表現を変えてしまうのも1つの方法です。例えば、「ターゲットに対するサービス」、「ゲームプラン」、これは何を意味しているでしょうか?実は、これらは兵士が実際に使う言葉の一例です。「ターゲットに対するサービス」とは「爆撃」のことであり、「ゲームプラン」は犯罪計画を指しています。こういった表現を使うと、実際には道徳に反するような行為であったとしても、あまり酷いもののようには感じられなくなります。

特にネットいじめでは文字を使ってやり取りを行うので、従来のいじめよりも表現はより重要な要素となります。そこで問題となるのは「いじり」という婉曲表現でしょう。「いじり」という言葉は今では一般的な言葉となっていますが、「いじられキャラ」となった子どもがストレスを抱えることも少なくありません。

これに関して、望月らが2017年に発表した論文のなかでは、まさにこの「いじめ」と「いじり」の印象を比較しています。

(参考:望月 正哉・澤海 崇文・瀧澤 純・吉澤 英里 (2017). 「からかい」や「いじめ」と比較した「いじり」の特徴 対人社会心理学研究, 17, 7-13.

 

望月らは大学生312名に対して「いじり」、「からかい」、「いじめ」のそれぞれについて様々な印象を尋ねています。その結果の一部がこちらです。

 

「いじり」「からかい」「いじめ」をする側が考えていること

 

「いじり」は「いじめ」に比べて仲良くなろうとする意思があり、相手に悪意を持っていないように感じられていることがわかりました。このように表現を変えてしまうことで「いじめ」も「いじり」として認識してしまい、「いじめは悪いことでもいじりだから大丈夫」といった意識に繋がっていると考えられます。

 

「結果」の壁の壊し方

行為の壁が崩れなくとも、その結果が有害なものとして認識できなければ、やはりその行為を止める壁はなくなってしまいます。特に、被害者が見えない場所にいると、「その行為によって被害者が苦しんだ」という有害な結果を確認することができないので、より簡単に残虐な行為を行えます。これについて、ミルグラムが行った有名な実験があります。
(参考:ミルグラム実験

 

その実験では、参加者に教師になってもらいました。それもただの教師ではなく、生徒役の参加者が問題を間違えるたびに、電気ショックを与える教師です。実際の実験では生徒役の参加者はサクラで、本当は電気ショックは流れていなかったのですが、生徒役は電気ショックを流されるたびに苦しむ声をあげます。そんな中で、実験者は教師役の参加者にどんどん電圧を上げるように命令し続けるのです。

全編英語ではありますが、実際にイギリスでこの実験を行った動画がアップされています。3分あたりから実験の様子が見られますので、参考にしてみてください。

 

ミルグラム実験の様子(字幕なし英語)

 

この実験では隣の部屋に生徒がいて、直接その姿が見えないと6割近くの人が最大電圧まで与えました。しかし、同じ部屋に生徒がいて、苦しんでいる姿が直接見えるとほとんどの人が最大電圧まで電気ショックを与えることはありませんでした。

ネットいじめでは被害者が目の前にいません。少なくともその行為をしている間は、被害者がどれだけ苦しんでいるかを直接知ることはありません。この状況は結果の壁を簡単に壊してしまうでしょう。

 

「犠牲者」の壁の壊し方

突然ですが、1つ質問をしたいと思います。皆さんは最近怒った経験はないでしょうか?その経験を3つ思い出してみてください。それぞれの状況で、なぜ怒ったのでしょう?その3つの経験のうち、何個の怒りが「正しい怒り」だったのでしょうか?

もう1つ質問をします。最近怒られた経験はないでしょうか?その経験を3つ思い出してみてください。そのとき、なぜ怒られたのでしょう?そしてその3つの経験のうち、何個の怒りが「正しい怒り」だったのでしょうか?

 

最近怒った経験、怒られた経験を考えてみましょう

 

いかがでしょうか。多くの人は、自分が怒られた経験よりも自分が怒った経験のほうが、正しい怒りだったと判断した数が多いのではないでしょうか?この現象は社会心理学者のバウマイスターが1997年に発表した「被害者バイアス」と呼ばれるものです。
(参考:Baumeister, R. F. (1997). Evil: inside human violence cruelty. NewYork: W. H. Freeman.

 

人には「自分こそが被害者である」という認識の偏りが存在します。そのため、何か相手に危害を加えるような行為をする場合でも、「相手が先に悪さをしてきた」、「相手はもっと酷いことをしてきた」と自分に都合よく認識することで犠牲者の壁を壊してしまいます。

実際、近年のいじめ問題では加害者と被害者の立場が逆転するという現象がよく確認されているようです。
(参考:原 清治 (2011). ネットいじめの実態とその要因(1):学力移動に注目して 佛教大学教育学部論集, 22, 133-152.
(参考:石戸 教嗣 (2016). システムとしてのいじめ: ネットワークの視点から見た教育方法の再検討 川口短大紀要, 30, 99-113.

 

「これまでこんなに酷いことをされた」、「確かに自分はいじめをしたが、それは相手が悪い」、そういった考えが犠牲者の壁を壊して、新たないじめへと向かわせるのではないでしょうか。

 

ネットとの付き合い方

以上のように、人が残虐な行為をしないように守ってくれている3つの壁というのは簡単に壊れてしまいます。特に、ネットいじめという状況はこの壁を壊しやすいようです。とはいえ、もはや現代社会においてインターネットから子どもたちを完全に遠ざけることは不可能です。では、どうすれば良いのでしょうか?

道徳からの選択的離脱モデルを提唱したバンデューラは人間性共感という言葉を取り上げています。確かに、これまでの話からすれば人は簡単に道徳に反した行為をしてしまいます。事実、社会心理学の実験の中には、状況を変えただけで他人に電気ショックを与えたり、暴力を振るったりするようになることを示したものも多くみられます。

しかし、これらの実験では、相手が「自分と同じ人間である」ということを認識することで残虐な行為が難しくなることも同時に示しています。その行為が他の人よりは悪くない行為であろうとも、目の前に被害者がいなくとも、相手が元々悪いのだとしても、画面やスマートフォンの向こう側にいるネットいじめの被害者は自分がよく知る人間です。相手の人間性を認め、そして、そのいじめによってどんな気持ちになるのかを共感すること、これこそが心の中の3つの壁を守るものなのかもしれません。

 

 

 

執筆者プロフィール
寺口 司
大阪大学大学院人間科学研究科 助教
専門は社会心理学で、「他者への攻撃行動についての認識」を検討している。
HP: http://trgc.net/

 

シリーズ担当:青木

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